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札幌高等裁判所 昭和44年(行ス)1号 決定 1970年1月23日

抗告人

農林大臣

倉石忠雄

右指定代理人

小林定人

(ほか七名)

相手方

伊藤隆

(ほか一七二名)

相手方ら全員代理人

彦坂敏尚

(ほか二三名)

相手方ら一部を除く一五九名代理人

吉原正八郎

(外三六八名)

相手方らを申立人とし、抗告人を被申立人とする札幌地方裁判所昭和四四年(行ク)第一一号保安林解除処分執行停止申立事件について同裁判所が同年八月二二日にした決定に対し抗告人から適法な即時抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

原決定を取消す。

相手方らの執行停止申立を却下する。

申立費用は第一、二審とも相手方らの負担とする。

理由

第一抗告人は主文同旨の裁判を求め、その理由として別紙「抗告理由書」、「補充理由書」および「補充理由書(二)」のとおり主張し、相手方らは別紙「反論書」のとおり主張する。

第二そこでまず本件保安林解除処分により相手方らに生ずる回復することのできない損害を避けるため右処分の効力を停止する緊急の必要性があるか否かについて検討する。

一本件保安林の地理的位置関係、保安林としての指定および解除に至る経緯、相手方らの居住する長沼町の一般的地理的環境、洪水被災の歴史と原因およびその対策等については相手方提出の疎明資料および当事者双方の主張の全趣旨により当裁判所も原審の認定したところ(原決定書第二、一、1、(1)から(4)まで)と同一の事実(但し、同(3)の末尾から二行目に「地域住民」とある次に「の一部」を挿入する)を認定するから右記載をここに引用する。

二しかしながら、当裁判所は原決定と異なり、本件解除処分の効力を停止するについて緊急の必要性がないと判断するものであつて、その理由は次のとおりである。

(一)  1 相手方らの主張によれば、本件保安林解除に伴い、伐木、防衛施設建設工事がなされることによつて、本件保安林が従前水源かん養保安林として果してきた流水調節機能が破壊されるに拘らず、現に代替機能を有する施設の設置が皆無であるから、地域住民たる相手方らは直ちに洪水被害の危険にさらされ、その生命、財産に回復困難な損害を蒙るおそれがあるというのである。

本件保安林指定の解除処分に引続き、立木の伐採、防衛施設の建設工事が予定されていることはいうまでもなく、これにより、本件保安林が従前水源かん養保安林として果してきた流水調節機能が失われることは否定できない。その結果本件保安林区域から集水する富士戸川本・支流、さらにはその下流に連なる馬追運河への流入水量が増加することは十分予想されるところである。

そして戦後、馬追運河沿岸において繰り返された水害が前記引用部分で認定したとおり、洪水時において石狩川本流および支流からの逆水を避けるため、同運河と旧夕張川との合流点に設置された逆水門を閉鎖することに伴う運河からの内水の溢水氾濫が大きな原因をなしていただけに右水量増加による同運河沿岸地域の危険性の増大が一応危惧されないでもない。

しかしながら、疎明資料(証拠―略)によれば、馬追運河沿岸を含む長沼地区一帯の過去における前記の如き洪水被災の経験にかんがみ、国においてもかねてその対策を講じてきたのであつて、北海道開発局により昭和三九年三月前記のとおり、馬追運河、南六号川、南九号川の内水を旧夕張川もしくは千歳川にポンプをもつて排出することを内容とする千歳川長沼地区機械排水事業計画が立案され、昭和四〇年度に着工し同四三年一〇月末に完成したこと、右計画によつて、馬追運河と旧夕張川との合流点、南六号川および南九号川と千歳川との各合流点にそれぞれ機械排水設備が設置されたのであるが、その能力は過去における洪水の水量と被害の実態を分析するとともに、地域の開発進捗にともなう流出量の増加をも考慮して決定されたものであることが認められ、これにより水害の危険性が全く解消したか否かはともかくとして、少くとも大幅に減退したものと推認される(証拠―略)。

このような現況の下に、本件保安林の伐採等に起因して馬追運河に生じる増加流水量によつていかなる地区にいかなる規模の洪水被害発生の危険性が存するかについては相手方らにおいて格別の主張、疎明がなく、ひいては長沼町の各地区に散在する相手方らが回復困難ないかなる損害を蒙るおそれがあるかとの点の疎明も十分でない。

2 のみならず、この点はしばらく措くとしても、抗告人提出の疎明資料(証拠―略)によると、国もしくは国庫補助の下に地方公共団体等によつて、本件保安林伐採等に起因する右増加流水量に対処すべく、抗告人主張の富士戸一号堰堤の築造、同二号堰堤の補強および馬追運河左岸の嵩上、あるいはまた七基の砂防堰堤の築造等の代替施設工事の施工が立案計画されており、これら代替施設によれば、少なくとも本件保安林伐採に起因する増加水量による水害の危険性は解消すると認められる。

すなわち右計画(証拠―略)によれば、まず、本件保安林区域に降つた雨水がすべてそこに集る富士戸川本・支流の合流点に貯水容量六四、〇〇〇立方メートル、洪水調節容量六八、〇〇〇立方メートル(全容量合計一三二、〇〇〇立方メートル)で、洪水のピーク時において毎秒19.37立方メートルを排水する機能を有する余水吐を備えた富士戸一号堰堤を建設し、これにより、本件保安林伐採に起因する増加水量をカットして一時貯留し、洪水の調節をはかろうとするのである。詳説すれば、本件保安林区域における一〇〇年確率計画日雨量255.7ミリメートルを基礎にして右堰堤への流入量を算出すると、堰堤への全流域面積三七六ヘクタールからの流入量は洪水のピーク時において、本件保安林伐採前は毎秒19.55立方メートルであるのに対し、伐採後は毎秒24.3立方メートルと推算され、その差毎秒4.85立方メートルの増加(ピーク時前後の増加流入量の総計約17.300立方メートル)となるが、前記堰堤の構造機能(ピーク時の最大排水量毎秒19.37立方メートル)により、すべてこれをカットして一時貯留し、洪水(流入)のピーク時が過ぎ流入量が減少するにつれて徐々に貯留水量を流出させることにより洪水を調節するのであり、この調節作用により、洪水(流出)のピーク時は伐採前(堰堤設置前)のピーク時より約二〇分遅れることになり、しかも右ピーク時の流出量は毎秒19.37立方メートルで、伐採前の毎秒19.5立方メートル以下になることが疎明されるので、これにより、少くとも伐採に起因する増加水量による下流河川(馬追運河の他の集水区域は、おおむね本件保安林より下流にある。)の氾濫は防止されるものと認められる。

つぎに前記計画(証拠―略)によれば、富士戸川本流上流部に既設の土堰堤である富士戸二号堰堤をコンクリートおよびコンクリートブロックによつて補強し、洪水時に渓流に面した堤体脚部が洗掘されるのを防止し、また、馬追運河の西五線から上流一、〇〇〇メートルの間は左岸が右岸に比して約0.5メートル低くなつているのでこれを嵩上げすることにより、同運河の排水機場から西三線までの間約三、五〇〇メートルの河道貯留量を二三、〇〇〇立方メートル以上増加して本件保安林伐採による前記増加水量約一七、三〇〇立方メートルに対処し、さらにまた、出水に伴う流出土砂の河床への埋積等による洪水増加を予防するため、本件解除区域周辺下流の沢に七基の砂防堰堤を築造する外、防衛施設建設区域にも地表に張芝その他の工事を施して土砂流出防止の機能を果させようとするのであつて、以上各種の代替施設工事により、前記富士戸一号堰堤の築造と相まつて、本件保安林の流水調節機能は十分代替され得るものと認められる。

(2) 相手方らは抗告人主張の計画は不正確、不完全で、妥当性がないと主張するが、疎明資料(証拠―略)によれば、本件保安林区域における一〇〇年確率計画日雨量の算出に始まり、本件保安林伐採に起因する増加流水量の算定およびこれが調節に必要な富士戸一号堰堤の規模の決定、馬追運河嵩上工事に伴う河道貯留量の増加量の算定等はいずれも農業土木工学、水理学等関係の専門諸科学において承認され、また国内における治水事業の実務において用いられている標準的な計算方式に則り立案された合理的なものと認められ(証拠―略)、また砂防堰堤の築造についても、それが土砂の流出防止という目的に副つた適切な位置に、しかも予想される流出量に対処するに十分な余裕をもつた規模で設計されていることが窺えるのであつて、相手方主張のように前記計画が代替施設として妥当性を欠くと判断するに足りる資料はない。

(3) 相手方らは代替施設が現に存しないことあるいは代替施設設置の実施計画および予算額が必ずしも確定していないとして、これらをもつて執行停止の緊急の必要性を主張する一論拠としている。

しかしながら、代替施設の設置が確実であり、かつその時期が代替施設設置の目的に適合するように合理的に配慮される限り、それが現に存在しないというだけで直ちに緊急性を肯定することはできない。しかして疎明資料(証拠―略)によれば、抗告人主張の各代替施設は、富士戸一、二号堰堤の築造または補強については昭和四四年度および昭和四五年度に総額三億一、三〇〇万円の予算で防衛施設周辺整備等に関する法律三条一項に基づき全額国庫補助の下に長沼町により施行される予定であつて、その昭和四四年度分工事予算(後記濫灌用水用導水路等の工事費を含めて三億二、八〇〇万円)については既に同年七月八日長沼町議会において議決されており、馬追運河嵩上工事については昭和四五年度に予算額一、〇〇〇万円で同法条に基づく国庫補助の下に北海道により施行される予定であり、砂防堰堤については、昭和四四年度に二、六〇〇万円の予算で防衛庁設置法に基づき札幌防衛施設局が事業主体となつて施行される計画で予算措置も講じられていることが疎明され、またその他用地の取得ないし使用についての所有権者の承諾等工事遂行に必要な手続上の措置も済んでいることが疎明されるのであるから、抗告人の前記代替施設工事は計画どおり実施されるものと認めるのが相当である。しかも疎明資料(証拠―略)によれば、これら代替施設の工事工程は、まず後記水道施設を設置し、その完成後、砂防堰堤七基の設置および富士戸二号堰堤の補強に着手し、砂防堰堤のうち四基の完成後、一部の箇所につき立木伐採、伐根をなし、その他の箇所についても代替施設の完成に応じて行なうものとし、富士戸一号堰堤の設置も速かに着手するなど、これらが保安林の機能を代替し、立木の伐採や土地の形質変更による流水の増加に対処し得るよう配慮しつつ、完成すべく計画されていることが認められるから、この点からしても現在本件保安林解除処分の効力を停止する緊急の必要性はないものといわねばならない。

(4) 付言するに、この際問題なのは代替施設が本件保安林の洪水調節機能に代替し得るものであるか否かであつて、本件保安林伐採以外の原因に起因する洪水被害までも完全に予防するものが要求されるのではない。およそいかなる原因によるものであれ、洪水災害が完全に予防されることが望ましいことはいうまでもないが、これは国ないし地方公共団体の施策として別途考慮されるべき問題である。したがつて、上記のとおり本件保安林伐採に起因して生じると予想される出水増加量に対処し、これを調節して洪水被害の発生を防止し得る施設が設けられることが確実であり、かつその計画が所期の目的に照して合理的と認められる以上、万一右計画に反して所要の代替施設が設置されないまま伐採等の工事が着手され、それによつて相手方らが回復し難い損害を避けるため緊急の必要に直面した場合において改めて本件保安林解除処分の効力の停止を求めることがあり得るのは格別、現段階において本件効力停止の必要性を判断するに当つては、代替施設として要求されるところを満たすものと考えるのが相当である。

(二)  次に相手方らは本件保安林伐採によつて本件保安林を含む馬追山の沢水に頼つている飲料水および灌漑用水が失われると主張し、抗告人は相手方らの中には右沢水を飲料水、灌漑用水に使用している者はいないと争うところ、相手方らにおいてその主張の如き被害を蒙るおそれがあることを疎明するに足りる資料はない。のみならず、この点についても疎明資料(証拠―略)によれば、抗告人主張の如く、飲料水確保のため早急に上水道施設を設置し、不足する各戸に配水する計画が樹てられており、これについては昭和四四年、四五年度において総額三、五〇〇万円の予算で前記防衛施設周辺の整備等に関する法律三条一項に基づく国庫補助により、長幌上水道企業団を事業主体として施行すべく昭和四四年度分の工事は既に業者との間に請負金額二、四九〇万円で工事請負契約が締結されており、また、灌漑用水の不足を補填するためには現存する南長沼用水路から分水すべく、これを補強すると共に新たに導水路、揚水施設等を新設する計画が樹てられ、これについても昭和四三年度ないし四六年度において総額四億三、八〇〇万円の予算で前記法条に基づく国庫補助により、南長沼土地改良区または長沼町を事業主体として施行すべく、昭和四四年度分の予算措置(南長沼土地改良区施行分は昭和四三年度繰越分を含め総額五、〇〇〇万円、長沼町施行分については前記富士戸堰堤工事分予算について述べたとおり)が講じられており、しかもこれらの工事は上記堰堤築造工事等と並行して実施し、農業用水に支障を来さない時期までに完成するよう配慮されていることが疎明される。したがつてかりに相手方らの中に本件保安林解除により飲料水および灌漑用水の不足を来し、日常生活もしくは営農に影響を受ける者がいるとしても、これは前記の代替施設によつて補填されることになるから、この点を理由にして本件解除処分の効力停止を求める緊急の必要性はない。

(三)  以上のほか本件保安林解除処分により相手方らに生ずる回復の困難な損害を避けるためその効力を停止しなければならない緊急の必要性を認めるべき事情は疎明されない。

第三してみると、相手方らの本件申立はその余の点について判断を加えるまでもなく失当であることが明らかであるから、これを却下すべきである。

よつてこれと異なる原決定を取消し、申立費用の負担については民事訴訟法九六条、八九条、九三条にしたがい、主文のとおり決定する。

(武藤英一 黒川正昭 佐藤安弘)

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